今日の京急三浦海岸駅は三連休中の好天に恵まれ、海水浴客で混雑していました。
そんな中、私は一人ニッチな旅を開始する事にします。
剱崎行きのバスに乗って約25分程度、終点で降りたのは私一人です。
ここを訪ねるのはもちろん初めてですが、
東京湾の入り口を照らす「剱埼灯台」がある事は知っていました。
そのため、まずはここを目指してみる事にします。
しかし、暑い・・・
水分補給と大きめのタオルで一応熱中症対策をしているものの、
バス停周辺から灯台までの道のりは、
台地の上に畑が広がり、日差しを遮るものは皆無です。
そして、行く手に灯台が見えているのに、道は畑の間を縫うように曲がりくねって、
なかなか目的地に辿りつけません。まるで砂漠の逃げ水のようです。
(この時は、後にこれ以上の厳しい「道」が待っているとは思いもよりませんでした)
そんなこんなで歩く事約15分、ようやく灯台に辿りつきました。
現在は無人ながら、大正14年築という白亜の灯台からは、
海の安全を守っているという風格が感じられます。
尤もプリキュア的には
トリオ・ザ・マイナーのアジトに見えなくもないですが(笑)
剱崎という地名は江戸時代にこの付近を通りかかった船が難破しかけた時、
剣を海に投じて海神の怒りを鎮めたという故事に由来するとの事。
確かにここから臨む海は岩礁に波が打ち付ける荒々しい姿を見せています。
せっかくなので、崖下の海まで降りてみました。
先日訪れた三保の松原のように、浜に押し寄せる波も良いですが、
岩場の磯の独特の雰囲気にも趣があります。
潮だまりをのぞくと蟹が沢山いたりと、子どもの頃の自由研究に使えそうな素材です。
もっとも、磯釣りをよくされる方はご存じの通り、
このような岩場には当然無数のフナムシがビッシリと貼り付いておりますので、
特に
緑川なおさんのような方は注意して下さい。卒倒しかねません。
さて、折角三崎に来ているので、昼食に名物のマグロや地魚を食べようと、
三崎港方面へ向かうつもりでバス停に戻りましたが、
時刻のチェックが甘く、バスは数分前に行ったばかりで次のバスまで1時間以上あります。
ならば海沿いにバス通りをのんびり歩きながら、
途中で疲れたら休んでバスを待とうと考え、三崎港方面へ歩きはじめましたが、
これが仇となろうとは、この時考えてもみませんでした。
熱中症にならぬよう水分を調達しながら遅いペースでのんびりと歩き、
ここの風景の場所まで都営浅草線から乗り換えなしで来られるのは凄いと思いながら、
歩きはじめてしばらくは長閑な漁村の風景を楽しんでいました。
ところが、道の途中でトンネルが見えたあたりから、道沿いにバス停が見当たらなくなりました。
この道以外にバスが通るような道があるとは思えなかったため、(実際はあったのですが)
そのまま歩いて通り抜けてみました。
車は時折通るのですが、歩いているのは当然私だけ。
このように明るく300m程度の短いトンネルでも、真ん中あたりに来ると何となく怖かったり(笑)
先程のフナムシといい、今回は
緑川なおさんの苦手な要素が多い気がします。
トンネルの先の道を行けども行けどもバス停は無く、それどころか自販機も無くなり、
このまま歩いていて大丈夫なのかと不安がよぎりましたが、
ここから引き返すのも相当な距離です。ならば進んだ方が良いかもしれないと、
照りつける太陽の下を苦行のように歩き続ける事、どのくらい経ったか・・・
ここまででポカリを1.5リットル消費したのに、全くトイレに行く気がしません。
全て汗となったようで、タオルは汗で水浸し状態、それもすぐ乾くという状況です。
最悪ヒッチハイクも考えなければ・・・と思いながら、
坂を上り、風力発電の風車がある公園を越え、その先の橋を渡り、
いざとなったら助けてもらおうと野菜直売所を横目に見て、
決して車では味わえない景色を見ているんだと己を納得させながら、
歩き続ける内にいつの間にか城ケ島大橋まで来ていました。
この炎天下、どうやら6㎞程も歩いていたようで、
剱崎でバスを降りてから2時間半、日差しの下を延々と歩き続け、
我ながら何アホな事してんだろうと思った次第です。
ここまでくれば三崎港まで少しなのですが、
流石に疲れ切っていたので短距離でもバスに乗る事にして、ようやく三崎港へ到着。
お土産の海産物屋が入っている施設名が「うらり」と、ここでも微妙にニアミスです。
まあ、微妙に名前の違うアイドルプリキュア繋がりとしましょう。
この後バス停近くの「咲乃家」さん(名前で選んでしまいました)に入り、
まずビールで水分補給
次いで地魚寿司の盛り合わせを堪能し、ようやく一息つきました。
この後はまたバスに乗って城ケ島に渡り、火サスの崖のような風景を堪能し、
帰りは途中で気になったバス停で途中下車しました。
全くノーマークだったところにあった「北条」。読みも「ほうじょう」です。
ここから三崎の街を散策しつつ、再びバスで三崎口へ出て戻りました。
ところで剱崎の表記や読みにはいろいろあるようで、
バス停や地名は「剱崎」、灯台は「剱埼」、
付近の小学校は「剣崎小学校」で読みも「けんざき」となっていました。
おそらくそれぞれ由来があると思いますので、
統一したりせずこのまま残してもらいたいものです。
そして今回の道中では「真琴」「ソード」に関連するものは当然見当たりませんでしたが、
予想外の「北条」に巡り合えたので、良しとしましょう。
ただ、今後バス停まで含めるとかなり大変な事になりますので、
バス停を狙って訪ねるのは、おそらく今回が最初で最後になりそうです。
そして家に帰った私は、真っ赤に日焼けしてヒリヒリ痛む腕、
腕時計焼けしてしまった手首、という追い打ちに襲われたのでした(笑)