養老渓谷は南房総の温暖な山中にあるため、
他の紅葉の名所と異なり、遅い時期の今が紅葉の見ごろです。
余裕を持って五井に着いたと思っていたら、窓口では切符を買う長蛇の列が出来ており、
ホーム上の臨時集札もかなりの混雑でした。
そして車内は着席どころの話ではなく、吊革にもつかまれないほどの混みようです。
一般的にローカル線は朝夕の通学生が主な利用客のため、
土曜日の午前はそれほど混んでいないとたかをくくっていたところ、
毎朝通勤している電車なみの混雑には参りました。
仮に着席できていたとしても、ほとんどの観光客がシニアの方だったため、
私のような33歳の独り者が座っていたら顰蹙を買いそうです。
車内の乗客のほぼ全てが養老渓谷へ向かうようで、五井からの1時間はずっとこの混雑でした。
しかし混雑した車内からみる沿線の風景は日本の原風景のような田畑が広がり、
例えば新幹線の沿線に乱立する醜い看板なども無く、
何の変哲も無い光景の筈なのに、妙に感動してしまいました。
ともかく1時間揺られて到着した養老渓谷駅は、
狭い駅前広場が人で溢れかえっていました。
数少ない粟又の滝行きのバスに乗れるのか心配でしたが、
流石にこれだけの人手が押し寄せるからには増便しており、無事に粟又の滝へ到着。
岩肌を流れ落ちる滝は力強さよりも繊細さを感じさせ、趣があります。
それにしても滝の周りにも人また人で、そのほとんどが観光バスツアーと自家用車のようです。
もっとも、私が来る時のような大混雑の体験をしてしまうと、
列車の旅は敬遠されてしまうのかもしれませんが・・・
ここから川沿いに渓谷を下って行きます。
その道沿いは緩やかに、時に淵となる荒々しさを見せる養老川の流れを
紅葉と幾多の滝が彩る美しいものでした。
ところが想定以上の人出に歩くペースが落ちていたのか、帰りのバスを逃してしまいました。
来る時のバスに乗った時間から考えると、駅までは5~6kmはありそうですが、
日ごろ通勤で鍛えた?足腰なら歩けない事もないと再びたかをくくって歩き始めました。
しかし、これは良い意味で発見があって楽しめたと思います。
私の横を何台もの車や観光バスが追い越していきましたが、
車からではこのような風景をゆっくりと楽しむ事は出来ないでしょう。
途中の温泉街で自然薯を肴に酒と昼食をとった後、再び駅へ向けて残りの道のりを歩きます。
ここは千葉県ですが、まるで北海道のように思える踏切を渡り、
ようやく養老渓谷駅へ戻った時には既に14時。
粟又の滝でバスを降りてから昼食で45分費やした事を考えても
2時間以上歩き通したのは久々の事で、少々足に来ました。
ところが養老渓谷駅には鉄道利用者が無料で入れる足湯があり、
少し熱めの黒湯で疲れを癒した後は駅前で焼いていた鮎の塩焼きをつまんで
駅で昼寝をしていたぬこを見守り、列車が来るまでの時間をのんびりと過ごせました。
五井への帰路につく大勢の観光客の流れとは逆に、
私はそこからさらに大原へ出る房総半島横断ルートをとるため上総中野へ向かいます。
今回の旅のもう一つの目的は、この「いすみ鉄道」に乗る事でした。
つい先日まで路線存亡の危機に立たされていたいすみ鉄道は
様々な改善策を試みて何とか存続が決まった路線です。
旅の手段として公共交通機関を第一に利用する身として応援したい想いがあり、
こうして今回初めて訪れてみると、なかなか趣ある沿線風景に魅せられました。
率直に言って、沿線に大勢の観光客を呼びこめるような景勝地は無いと思います。
それでも小湊鉄道線から見たような田畑が広がる風景や、
どこまでも連なる房総丘陵の山林は美しく、
房総半島がこんなに美しい地域だったと知らなかった私にとっては新たな発見でした。
いすみ鉄道沿線を素通りするのが勿体無く思ったので大多喜で途中下車してみましたが、
既に夕方になっていたため町の散策には適さず、
大多喜駅の売店で販売している多彩なオリジナル商品から、
名物となっているらしい「い鉄揚げ」と「けむり饅頭」を土産に購入して
次の列車で大原へと向かいました。
車内放送では「房総の小京都」と言われる町との事だったので、
近いうちに再訪したいと思います。
海外旅行から帰って来る際、成田に降り立つ前の機内から下を見ると、
山肌を虫が這っているような醜い光景が眼下に広がります。
上空から眺めるゴルフ場は醜悪で、その印象が強かったために
房総半島の山林自体にそのような偏見を持っていた認識を改めたいと思います。
百聞は一見にしかず、また違うシーズンに再訪したいと思わせる一帯でした。