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ハートキャッチ最終回『みんなの心をひとつに!私は最強のプリキュア!!』 [ハートキャッチプリキュア]

skytree.JPG我が家のベランダからは、
日々その背を伸ばしてゆくスカイツリーが見えます。
ハートキャッチシリーズが始まった時点では
まだ東京タワーより低く、ただ幹のみが
そびえ立つ姿でしたが、あれから1年経った今、
2つの展望台やゲイン塔を備え、
文字通り「ツリー」の様相を呈してきました。
かつての心の大樹のように
人々の暮らしを見守るようになるまでは、
今の心の大樹のようにすくすく伸びて行く姿を
人々に見守られて行くスカイツリー。
その成長のようにつぼみの成長を描いた物語は、
ここに美しく完結します。
  
ハートキャッチオーケストラの拳はデューンを叩き潰し、
そのまま浄化されるかと思われましたが、相手は最後の敵。
そうは問屋がおろさず、相当の打撃を被ったものの、耐え抜きます。
『僕の憎しみは消えないよ。憎しみは増殖し、すべてを破壊し尽くすまで消える事は無い。
 君達の愛など、僕の憎しみの前にはゴミだと教えてやろう』
デューンの高笑いと共に崩壊していく惑星城。
崩壊の余波で心の大樹の倒木の脇に芽生えた双葉が揺れ、
薫子さんを連れ出したコッペ様と合流し、崩れてゆく城を見下ろす4人の前に、
惑星状の下の星、木星のような星から巨大な姿を現すデューン。
かつてのジャアクキングのような巨大な姿は地上からもはっきりと見えます。
雄叫びを上げ、地球を殴りつけるデューン。その度に猛烈な揺れが大地を襲います。

『笑っちゃうよね。たった14歳の美少女がデューンと戦うなんて』
この絶望的な状況を目の当たりにしても、マリンは軽口を叩きながら一足踏み出し、
美少女は微妙だというコフレの突っ込みを受けながら皆を促しました。
『ちょっくら地球を守ってこよう!』
続くサンシャインにゆりさんは17歳だと指摘されて焦るマリン。
最後の戦いに赴く悲壮な緊張感は一気に和らぎました。
続けて飛び立とうとするムーンライトに、ブロッサムは先ほど叱咤した事を詫びますが、
ブロッサムの優しい気持ちはムーンライトに大切なものを与えてくれました。
ブロッサムに微笑みかけ、飛び立つムーンライト。
続けてブロッサムも薫子さんに行って来ますと告げ、
4つの光は巨大なデューン目指して飛んで行きました。

今のデューンから見れば塵のように小さな4人に、デューンの拳が、
そして額から放つ光線が迫ります。
しかし光線がもたらす煙が晴れた向こうに4人の姿を認めたデューンは息を呑みました。
『悲しみが終わらないのは、私達の力が足りないから。
 憎しみが尽きないのは、私達の愛が、まだ足りないから・・・』
目の前のデューンがどんなに非道な男であっても、愛を持って語りかけるブロッサム。
そして足りない分はムーンライトが、マリンが、サンシャインが、
さらにシプレが、コフレが、ポプリが力を合わせます。
無限の可能性が今、宇宙に咲く大輪の花となって花開こうとしています。
手を取り合う4人のプリキュアと3人の妖精がが一つになって現れた卵から、
無限の力と無限の愛を持つ、デューンと対等の大きさの
星の瞳を持つプリキュアが誕生しました。

『ハートキャッチプリキュア・無限シルエット』
微笑みかける無限シルエットを殴りつけるデューンの拳は届かず、弾かれます。
『憎しみは、自分を傷つけるだけ・・・』
届かぬ拳を幾度と無く拳を振い続けるデューンに、無限シルエットの反撃が繰り出されます。
『くらえ、この愛・・・
 プリキュア、こぶしパーンチ!!』(はからずもここで大爆笑してしまいました)
しかしそのパンチは殴り倒すようなものではなく、
デューンの胸元に優しく、ちょっと懲らしめるような優しさで突き出されます。
桜(チェリーブロッサム)の花びらが舞い飛ぶ中、互いに見つめあうデューンと無限シルエット。
そしてこぶしパンチから炸裂した光が、巨大な2人を包み込みました。

草木が茂り、川は水を湛え、何事も無かったような世界。
そしてクリスマスイブに始まった最終決戦から数ヶ月の時が流れました。
朝顔が、向日葵が咲き、蝉の声が響くある夏の日の事。
朝、一緒に登校すべくつぼみを誘いに来たえりかは、
無事に産まれたつぼみの妹、ふたばちゃんのホッペをぷにぷに突っついて
突っつきたいのを我慢しているというつぼみに注意されました。
妹の良さを味わい、つぼみがお姉ちゃんになった事をからかいながら、
次に2人は明堂院家にいつきを訪ねます。

さつきお兄様と朝稽古に励むいつきは、少し髪を伸ばして女の子っぽくなりました。
それよりもその後ろに見慣れた赤毛の長髪男の姿が・・・?
その男にクモジャキーの面影を見て度肝を抜かれるつぼみとえりかに、
いつきは昨日入門してきた熊本さんだと紹介します。
ここ数年の記憶が無く、ずっと病院で寝たきりだったという熊本さんの隣のベッドでも、
青いロン毛の優男が時を同じくして意識を取り戻して
いました。
という事は・・・
どこかでサソリーナのような人も、コブラージャさんのような人もいると想像する3人。
その通りにサソリーナだった女性は幼稚園の先生として園児達に囲まれ、
コブラージャさんだった男性は服飾デザイナーとして美しい服を仕立て、
それぞれの人生を歩んでいるようです。
きっとスナッキー達も、みんな新たな生き方をしている筈。そう信じて3人の想像は膨らみます。

3人は町を見下ろす丘の上にやってきました。
『私達は凄い事をしてしまった・・・世界が輝いているのも私達のおかげ・・・!』
自信満々に語りだすえりかに、つぼみといつきは呆れ顔。
それもその筈、もう毎日えりかはこの調子のようです。
『たった14歳の美少女が、地球を守ってしまったぁー!!』
みんなで無限プリキュアになった衝撃から調子が戻らない事を
お子ちゃま扱いで揶揄されたえりかは、つぼみもいつきもやっていた事を指摘しました。
『我々は、凄い事をしてしまった!』
実際につぼみもいつきもついこの間までそう誇らしげにやっていた時期がありました。
『無限の力だよ!無限の愛だよ!地球を救っちゃったんだよ!』
どんどん画面に近付き、テレビの前の私達に訴えるえりかは、
その後頭を抱えてこれ以上人生で何があるのか、少し悩んでしまいました。

『えりか、まだそんな事言ってるの?
 いつまでも終わった事にこだわっていても、しょうがないわよ』
『えりかは過去の栄光にこだわりすぎデス。人生は風の中、振り向くな、振り向くなデス!』
ゆりに、コフレに指摘されてしまうえりか。
今まで妖精達は心の大樹を見守っていたため、みんなと会うのも久しぶりのようです。
心の大樹は心の種のおかげですくすくと育っているという報告を聞いて、
ゆりは心の大樹がどこかにあるであろう大空を見上げて、これからの事を語りました。
『今までは心の大樹が私達を見守ってくれていたわ。
 でもこれからは私達が、私達の心が、心の大樹を育てて見守ってゆくのよ。
 だからいつまでも無限の力とか、無限の愛とかに頼っちゃ駄目。自分の人生なんだから』
それぞれの人生について、えりかはファッションデザイナーを目指し、
ゆりはまだ見つけていないものの、自分の人生を考える時間を、
いつきは武術を続けながら、色々な可能性を探って行きたいと言及します。
そしてつぼみは、もう一度自分の力で宇宙へ行きたいと、
宇宙飛行士という壮大な夢を描きました。
そのためには牛乳を飲もうとどこぞの兄貴が言いそうですが・・・
そしてつぼみは親友を超えた大親友達に囲まれ、
宇宙飛行士という「手段」を超えた「目的」に思いを巡らせます。
出来るなら・・・

出来る事なら、草も花もない宇宙に、少しでも花を咲かせたい。
あの時、デューンとの最後の時の事を思い出すつぼみ。
こぶしパンチから受け取ったハートを手に、無限シルエットとすれ違って振り返るデューンは
少年の姿をとって振り返りました。その目はもう、憎しみを湛えていません。
ハートから溢れる光と共に、最後に口元に微笑を浮かべて徐々に消えて逝くデューン。
愛で対抗したとはいえ、互いに理解し得なかった事を、
消さなければならなかった事を悲しむように
デューンが消えた後、涙が無限シルエットの頬を伝いました。
『せめて、そうすれば・・・』

『私達、4人のプリキュアが砂漠の使途を倒し、地球を守った事を、
 人々は時が経つにつれて忘れていくでしょう。でも私は、えりか、いつき、ゆりさんと
 プリキュアになって走り続けたこの1年を、決して忘れません。
 なぜなら私を成長させ、未来の道まで見つけさせてくれた、
 かけがえの無い、大切な宝物だからです』
一人街を見下ろすつぼみのモノローグと共に、
つぼみの机の上の、最後の戦いに赴く際に撮った写真が飾られている光景が、
プリキュアパレスの4人の石像、そして奥に収められたミラージュが、
役目を終えたように安置される光景が広がりました。

そして少し色褪せたその写真を見つめる、ココロパフュームを手にした女の子。
つぼみ達4人の意思は、確かに誰かに受け継がれて行く事を感じさせつつ、
ハートキャッチプリキュアの物語は幕を下ろしました。


まず、はじめにお断りします。
初代からここに至るまでのプリキュアシリーズの最終回で、初めて私は大笑いしました。
「無限シルエット」「こぶしパンチ」の、流石と言うか相変わらずのネーミングセンスに
笑って、笑って、本当に笑って、いつのまにかその笑いが深い感動へと変わりました。
これほど素晴らしい最終回を見せられては、文句の付け所がありません。
この一年間、この作品を観続けた事は、私にとって大きな糧となりそうです。

アクション面の物足りなさ、サバークやダークプリキュアの
救済が無いという声もあるかもしれません。
しかし、アクションについては前回非常に高いレベルのものを見せておりますし
暴力的なものに暴力的で対抗しなかったという描写は高く評価したいです。
巨大化するデューンに巨大な無限シルエットが濃密なアクションで対抗してしまっては、
前回の「悲しみや憎しみは、誰かが歯を食いしばって断ち切らなくちゃ駄目なんです!」
という台詞が空回りしてしまいます。
無限に肥大化する憎しみに対し、それが正義というものであっても
力で対抗してしまってはデューンとなんら変わるものはありません。
相手が強大な力を持てば、こちらもそれに対抗する力を持つ。
それに対抗して相手もさらに上を行く力で対抗する。ならばさらにこちらも・・・
この問題は40年以上前に「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」という比喩で、
ウルトラセブンが問題提起しています。
果たして暴力や憎悪に愛で対抗できるのか、それはわかりませんし理想論かもしれません。
それでもその可能性を信じたい。信じてみたいと思わせる傑出したラストバトルでした。

光線を放ち、煙が晴れた向こうに立つプリキュア達を見て息を飲むデューン。
この場面、一見してプリキュア達が無傷で立っている事に衝撃を受けているように見えますが、
ブロッサムが持つミラージュの鏡に映る、憎しみに囚われた己の顔に戦慄しています。
デューンはなぜあそこまで憎悪を滾らせたのか、その理由は語られませんでしたが、
おそらく彼は孤独かつ自己嫌悪が強かったのではないでしょうか。
内に向けられた怒り、どうにもならない事に絶望し、
心が無ければ悲しむことも、苦しむことも無いと心を枯らそうとしたのかもしれません。
人はどんなに正論でも、「間違っている」と言われれば誰でも反発を覚えます。
しかし己の過ちに自ら気がつく事で、新たな解決策がもたらされる事もあります。
鏡に映る自分の恐ろしい姿を認識する事で、過ちに気がつく。
自分自身をしっかり見つめるという、かつて4人が乗り越えた試練と同様の事を
デューンに対しても行うことで、デューンの救済に一役買っている場面だと感じました。

今回、戦い終わった後の後日談の尺が長く取られているのが良かったと思います。
何気ない日常の風景の中で、眼鏡をかけているつぼみ、妹って良いよねぇを連発するえりか、
そして少し髪を伸ばし、女子の制服を着ているいつきが印象的です。
これらはいずれも3人が当初抱いていたコンプレックスで、
つぼみは内気で引っ込み思案、地味目で冴えない事を気にしていましたし、
えりかは優れた姉を持つ妹として、もも姉に対する対抗心と妬みを、
いつきは女の子らしくしたくても家庭の事情で出来ないと思い込んでいました。
これらをありのまま受け入れて、変わるべき内面が
良い意味で変った事を意味している、3人の成長が感じられる良い描写だと思いました。
(そしてもちろん、初めて見るいつきの女子制服姿の可愛さもですが・・・)

クモジャキー改め熊本さんや、サソリーナ、コブラージャさん、
果てはスナッキーやデューンすら救われたというのに、
サバークとダークプリキュアの救済が無いため、ゆりには救いが無いようにも見えますが、
後日談でのゆりが全く悲しみを漂わせていないところを見ると、
彼女は父の死を受け入れ、悲しみに囚われず前向きに生きていこうとしたのだと思います。
終わったことにこだわっても仕方が無いというえりかに向けられた発言は、
自分自身にも言い聞かせているように聞こえました。
そしてこれまでプリキュアの使命や、父が不在の母子家庭を支える等、
気苦労が耐えなかったゆりが、新たな人生のスタートを切ることが出来たと考えられ、
ゆりにとってもハッピーエンドを迎えたと考えています。
そして非常に小さなワンシーンでしたが、
妖精達が心の大樹の幼木を見守っていると語るシーンで、
小さな3つの光がその周りを飛び回っていました。
これはサバーク、ダークプリキュア、そしてコロンが心の大樹の元で、
大樹と共にあると解釈できると思います。

ラストに登場する少女は誰なのか。
つぼみの妹、ふたばかもしれませんし、写真の色褪せ方からしてつぼみの娘かもしれません。
しかしこれはTVの前でプリキュアの活躍を見続けた少女達そのものの象徴だと思います。
誰でもつぼみ達のように強くなれる、というメッセージは
作中で受け継がれているという描写を通して、
つぼみ達が愛で戦う事のメッセージを子供達に贈られているようです。

最後にYMO「以心電信」の歌詞を引用して、締めくくりたいと思います
  "See how the world goes round  You've got to help yourself
  See how the world goes round  Then you'll help someone else
  上手な化粧を落とし 生まれたままに 生きてる自分を 愛してみよう"

自分を助けられるのは自分だけであり、
自分を助けられない者が他人を助ける事は出来ないという「自助」を謳った歌詞です。
つぼみもえりかも、いつきもゆりも、プリキュアとして多くの人の心を救ってきました。
しかし救ったのは他人の心だけでなく、自分がどう生きていくのかを見極め、
自分の心の弱い部分を認めた上で受け止め、
自分自身の成長を遂げる事で自分自身を救ってきました。
その活躍によって、一視聴者である私もいろいろな物の考え方や
仕事に行き詰った折に力を貰ったり、この一年で随分と変わった所もあると思います。
そして、自分に正直になった彼女達とともに、私も少し自分に自信が持てた気がする、
そんな一年を送ることが出来ました。
当初キャラクターの差異に困惑し、プリキュア卒業まで考えたなどという
1年前の私はもう考えられません(苦笑)

名残は惜しいですが、終わったことにこだわらず人生は前向きに。
プリキュアの精神を受け継ぐ次回作に、大いに期待したいと思います。
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通りすがり

いつもプリキュア感想を拝見させて頂いてます
最終回の感想が大変良くてとても心に来ます
思わずコメントしたくなりましたので
良い作品を作ってくれるスタッフと、その真価を見出す感想を書いてくれる管理人に無限のありがとう
by 通りすがり (2011-01-31 11:22) 

やまぴょん

まだ初見なので判断を急ぐつもりはないのですが、実は現段階では消化不良をおこしています。(苦笑)

憎しみに対して愛で戦う、という先週からの流れなので、基本的にアクションシーンはさほどないだろうと思っていましたし、その点では問題ないというか、全くコメントの通りだと思います。後日談も気に入っております。

反面、こぶしパンチに至るまでの過程には物足りなさを感じております。
結局、デューンは何者で、何故憎しみを抱いていたのかが分からないまま、愛を届けたら届きました、では…
仮に語られないとしても、どうして愛情を受け取る心(ただの心ではなく)を持てたのか?
フレッシュにおけるシフォンは、それこそ一年間、ラブたちの愛情を受けて、愛情を知る存在でした。だから、インフィニティ化したシフォンにみんなの愛が届きました。
でもデューンはそういう存在ではないですし、デューンの内面や背景は憎しみを持っていること以外ほとんど描写されていないので、その辺りが初見では理解できず、こぶしパンチが届いた描写に唐突な感じを抱きました。憎しみがあるということは、心は持っていたということなんでしょうけど。

その意味で「ブロッサムが持つミラージュの鏡に映る、憎しみに囚われた己の顔に戦慄しています。」というのは見落としていたので、もう一度見てみようと思います。

とは言え、肝の部分なので、もう少しデューンの内面について丁寧に描いてほしかったのが正直なところです。
(最終回そのものというより、シリーズ全体としてもう少しデューンを登場させても良かったのかなと思います。もしくは、薫子さんがデューンについて語るとか。)
by やまぴょん (2011-01-31 14:17) 

スティクス

>はじめまして。コメントありがとうございます。
作品の良さがあるからこそ、私も文章を綴っていく事が出来ています。
このような賛辞を頂戴し、恐縮です。無限のありがとう。
次回作ならびにプリキュア5シリーズも続けて参りますので、
引き続きよろしくお願い致します。
by スティクス (2011-01-31 22:31) 

スティクス

>やまぴょんさん。
コメントありがとうございます。
色々な解釈があってしかるべきですので、ご意見を頂戴するのは大変嬉しいです。
確かにデューンに関してはもっと掘り下げていれば、
さらに深いドラマになったかもしれませんね。
薫子さんとの因縁も気になりますし、肩に乗せていた生物も謎のままでしたし・・・
それでも私としては、観る側に想像の余地がある事も必要だと考えています。
確かにすべてをきっちりと語ってくれた方がすっきりとしますが、
それが自分の考えと異なる公式設定だった時は少々残念に思えてしまいます。
昨年のフレッシュ最終回でもそうですが、想像の余地があるからこそ、
各々が物語のその後やバックボーンに想いを巡らせ、
その世界観をいつまでも終わらせる事なく感じられるのかな、と。
誰もが納得する結末を作るのは至難の業ですし、
妥協した八方美人な結末ではもっと残念です。
その意味でデューンだけでなく、サバークやダークの救済、
そしてラストカットの少女など、色々な解釈の余地を残してくれた
ハートキャッチの最終回は、満足の行くものだと個人的に考えています。
これからも色々な物の見方をしていきたいと思いますので、
ご指摘をいただけると幸いです。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
by スティクス (2011-01-31 22:45) 

やまぴょん

フォロー(蛇足?)ですが、この最終回を全く評価していない、というわけではないので、付け加えておきます。

特に、えりかの『私の人生、これ以上何があるの?』って発言は興味深いと思いました。これまでの最終回でこの観点はなかったことなので、エピローグとして深みが増したように思います。
また、巨大化したデューンに向かう場面での、えりかの場違いなくらいの軽い『笑っちゃうよね~(以下、略)』って発言や、つぼみがゆりさんに謝るところなど、妙に普段通りで、変に背負ったものがないのも良かったように思います。

先週のゆりさんを止める場面でメッセージは伝えられているので、あまりデューンの正体についてあまりこだわるべきではないのかもしれませんね。(と、他人のブログで勝手に問題提起&結論を出してすみません。)
by やまぴょん (2011-01-31 23:31) 

やまぴょん

再度ごめんなさい。

他のことをしながら2回目のコメントを書いていたため、スティクスさんからの返信コメントの前に書き始めたはずが、順序が逆になってしまいました。
by やまぴょん (2011-01-31 23:42) 

スティクス

>やまぴょんさん。
私の返信とたまたま重なってしまったようで、どうぞお気になさらずに・・・
確かに今回のえりかは、最初から最後までずっとえりからしく、
えりかでなければ務まらない場面が多く印象的でしたね。
裏表の無いえりかだからこそ、「私の人生~」発言が効いてくると思います。
何かを成し遂げたり大きな目標を達成してしまうと、その後どうするのか、
現実にある「燃え尽き症候群」という問題を、
重くさせずに描けるのは流石だと思いました。

問題提起、ご意見など、これからもご遠慮なくどんどんお願いします。
by スティクス (2011-02-01 06:51) 

アモン

はじめまして。
最終回の感想、たいへん参考になりました。

私も詳しく描かないことによって、与えられのではなく、みんなに想像する余地を残してくれたのだと思います。
先週のつぼみの「自分で考えてください!」にも繋がっていると思います。

ハトプリの場合、詳しい事情は存じませんが、困っていればお助けします。
でも、解決するのは本人です(デューンの場合も)。

そう考えると、泣き、笑い、萌え、燃え等、アニメだからできることを全て入れて、これ以上の最終回はないと思います。






by アモン (2011-02-03 18:45) 

スティクス

>アモンさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
私はかねてから「想像の余地のある最終回」を評価していましたが、
「自分で考えてください」と繋がっているというご意見には
なるほどと目から鱗が落ちる思いがしました。
確かに今でもまだ終わった事が信じられない程、素晴らしい最終回でしたね。
それでも終わった事にこだわらず、スィートの物語からも
しあわせGET出来るよう、完璧とまでは行かずとも、
精一杯がんばって行く力が得られると信じています。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
by スティクス (2011-02-03 23:34) 

満夕

はじめまして。
ハートキャッチ最終回でこちらに辿り着いて以来、レンタルで見返しながら過去の感想などよくお邪魔させていただいてます。

どれも良識的でマトを得た解釈で、観ながらとても参考になりました。
特にこの最終回が好きなのですが、見所がふえてより楽しめました。
ありがとうございました!

それと、事後で申し訳ないのですがブログ記事からリンクさせていただきました。トラックバック機能使ってないのでコメント欄で失礼いたします。
by 満夕 (2011-06-13 19:16) 

スティクス

>満夕さん
はじめまして。コメントありがとうございます。
コメントをきっかけに私も改めて拙文を読み返し、
少々気恥ずかしさもありますが最終回の各場面を思い返しました。
満夕さんのサイトも拝見させて頂きまして、
デューンに対してのつぼみの決意というか、
責任というかを考えさせられ、大変参考になりました。
また忌憚無きご意見をいただけると幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

ところで、素敵な絵ですね。
私は咲なみに絵心が無いため、羨ましい限りです。
by スティクス (2011-06-14 22:21) 

やまぴょん

スティクスさん、こんばんは。

昔の話にコメント、すいません。
お手間をとらせてしまいますので、
このコメントに無理に返答をしなくてかまわないです。

明けて昨日、MXでのハートキャッチ再放送が最終回を迎えました。
再放送が始まってから、他のシリーズのことも考え(踏まえ)ながら、
この最終回を楽しみにしていました。

ご存知の通り、リアルのときに個人的には釈然としていませんでした。

自分なりに、何に納得がいって、何に納得がいっていないか、
以前より鮮明になった気がするので、
補足として書かせていただきました。

今回、改めて感じたことは、
最初のえりかのときから最後のデューンに至るまで、
相手の気持ちに応えようとするつぼみの優しさで、
それがハートキャッチの話の根幹であるし、
全くぶれのない、この作品の、つぼみの良さだと思います。

ただ、しつこいかもしれませんが、
やっぱり敵側から見たときに不満に思ったのも変わりませんでした。

もちろん、デューンについてはいろいろと背景を想像して、
ある種の解釈にはたどり着いたのですが、
それはそれとして、
初見のときに感じた不満が実は別の点にある、
というか、自分の中でもっとはっきりしました。

結局、つぼみやみんなが酌もうとしているデューンの気持ち・存在を
製作側が殺してしまったのではないか、と。

プリキュアの他の敵キャラは、大抵、何かしらの主張をしたり、
個性を出しています。人工知能であるメビウスでさえ。
ところが、デューンだけは憎しみ以外に表現しなかった。させなかった。

その点を除くと、ハートキャッチはとっても綺麗な話だと思います。

ただ、デューンのキャラなり存在理由を最後まで描いてくれなかったがために、
憎しみではなく愛で戦うことをプリキュアに課した製作陣自身が、
デューンという存在に愛情を注がなかったように見えてしまうのです。

おそらく、かなり厳しい言い方だと思います。
かつ、概ね評価の高いこの最終回に対して
私の意見は異端だとも思います。

でも、プリキュアの敵キャラの話をしようと思ったときに、
デューンだけは「憎しみ」以外の言葉が出てこないだろうと思うんです。
他の敵キャラはいろいろと想像・説明できるのに。
正直、雑魚キャラのスナッキーの方がキャラ立ちしていると思います。
そのくらい、デューンという存在は葬られた気がしてならないのです。

そのことが、一連のハートキャッチの最終決戦の切なさ以上に
切なく感じてしまいます。

プリキュアの物語はプリキュアが何をし、語るかが大切だとは思いますが、
愛されたり、憎まれたり、怖がられたり、馬鹿にされたり、といった、
さまざまな敵キャラがいてこその物語であることを再認識した
最終回の再視聴でした。
by やまぴょん (2011-09-14 03:18) 

スティクス

>やまぴょんさん
MX再放送が終わったタイミングで新たなご意見を頂戴し、
私もこの時の本文を見返しながら、
そして終了後半年を経た時に、改めて考えてみました。
と、ここで私自身の内面を語る事になり、多少抵抗があるのですが・・・

かねてから折に触れていますが、私はかつて一時休職せざるを得ない程、
精神的に追い込まれた事があります。
そして今考えると、当時の私とデューンが似ているように思えます。
デューンは全てを枯れさせる憎しみを外に向けており、
対して私の憎しみは自分の内側に、ただ自分を責め、呪い、罵り、
それでもこの苦しみから逃れたく、この苦しみを気づいてもらいたく、
それ故の奇行、言動で同僚、上司、友人、家族を傷つけてしまいました。
しかし向いている方向こそ違え、デューンも己を理解して欲しい、
分かち合える者が欲しいと願っていたように私には見受けられました。
それを端的に象徴する行為が、地球を殴るという行為に思えます。
苦しんでいる自分がここにいる、気づいて欲しい・・・
私の捉え方も極端かもしれません。
だからこそ、消されるに至ったとしても、
最後に愛をくらい、無限シルエットの涙を受ける事が出来て
デューンは救われたと考えています。

また、私自身が立ち直るきっかけとなった事の一つに、
鏡に映った当時の私の顔の恐ろしさに気づいた事が挙げられます。
人から言われても気付かない事は気づかず、
自分で気づかなければ解決しない。それを気づくことが出来た経験でした。
このためにデューンが「ミラージュに映った己の姿に戦慄」したと
解釈した次第です。
そして、私は「生まれたままに生きてる自分を愛してみよう」と
試行錯誤しながら歩んでいるところです。

思わぬ自分語りになってしまい恐縮です。
しかしジャアクキングやゴーヤーンといった人智を超越した存在や、
デスパライアや館長といった脆さ・苦悩を秘めた存在、
ある意味理想に燃えていたメビウスとも異なるデューンに対して、
私は親近感を感じる側面があり、
それ故に彼が救済されたこの最終回を大いに評価している次第です。
by スティクス (2011-09-14 22:16) 

龍

2015年に発売された『ハートキャッチ』の小説版では、本編では触れられなかったデューンの生い立ちと境遇について語られています。これをテレビで放送するのは色々と難しすぎるので、割愛して正解だったと思います。

デューンの種族は、元々は銀河系の遥か彼方にある星に住まう民でした。資源の枯渇した母星を捨てて流浪の民となった彼らは、他の惑星を侵略しては資源を搾取し、吸い尽くしたら再び旅に出る……そんな暮らしを延々と繰り返していきました。彼らによって資源を吸い尽くされた星はことごとく砂漠と化すため、彼らはいつしか「砂漠の使徒」と呼ばれるようになりました。

デューンはそんな彼らを率いる王の息子として生まれました。デューンが物心ついた頃には母親は既にいませんでしたが、優しい乳母に可愛がられて幸せな幼少期を過ごしていました。しかし、デューンには血の繋がらない義母と彼女の息子(義弟)がおり、義母には疎まれていました。自分の息子を次の王にしたいと考えた義母は夫をそそのかし、本来の王位継承者であるデューンの命を狙います。このお家騒動は結果的に失敗し、デューンは命からがら逃げ延びましたが、代わりに乳母が殺されてしまいます。

故郷を追われ、自分を愛してくれた人を喪った悲しみ、そして父や義母への憎しみ……。それらの感情を引きずりながら逃亡を続けたデューンは、やがて「邪神教」の教会に辿り着き、そこで悪魔(本編でデューンが左肩に乗せているあの生き物?)に出会い、こう願います。「父を殺す力が欲しい」と。自分の魂を悪魔に売り渡したデューンは故郷に戻り、その力で父や義母、義弟を皆殺しにします。しかし、復讐を果たしても……いや、復讐を果たしたことで、父や義母への憎しみは消えるどころか歯止めがかからなくなり、むしろ死んだ父の名誉を徹底的に貶めることに快楽を覚えるようになってしまいます。作中にはデューンの同族は紹介した父・乳母・義母・義弟を除いて一人も登場しません。これは明言されていませんが、おそらく父が愛した民達も父を貶めるために全員葬ってしまったのでしょう)。

こうして己の全てを捨て去り、一人きりの砂漠の王となったデューンは、矛先を地球へと向けます。これは、「父が生前に目を付け何よりも欲していた地球の資源を星もろとも滅ぼすことで、民の繁栄のために資源を搾取するという王としての父の行動を貶め、その名誉を踏みにじることができる」という発想によるものでした。元々彼らにとって星の砂漠化は「自分達の生存と繁栄のためにその星の資源を搾取した結果」でしかなかったのですが、デューンが王となってからは事情が変わり、「星を砂漠化させること」自体が目的になったのです。

皮肉なことに、悪魔に魂を売り渡して人間であることをやめたデューンにとって、砂漠はむしろ生存には適した環境でした。自分が憎んだ者達に対する嫌がらせを、自分がいつか破滅を迎えるその時まで延々と続けることができました。あるいは彼自身も気付かないうちにデューンという存在はもう滅んでいて、その怨念だけが現世に残っていたのか……。今となっては誰にも分かりませんが、自分が生み出した憎しみという感情に囚われ続け、そばに寄り添う者もおらず、何の達成感も幸福も得られないまま何百年もの時を過ごしていたことは間違いありません。
by 龍 (2021-03-12 20:30) 

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